2000年5月31日(水) 藤井隆のクチトンネルツアー! | |
妻: | 今日はクチへの半日ツアーに参加するので7時に起床し、8時には出掛けた。夫はまだ体調がすぐれずフランスパンを食べたいというので朝食は別々に取ることにした。私は麺類が大好きなのでフォーにする。牛肉入りのフォー。味の方がまたおいしい。ただ少し油っぽいような。タイのお米の麺クイッティアオに馴れていて、その味が頭にお米の麺としてインプットされているらしい。 ベトナム語も少しだけ覚えた。といっても挨拶に数字の1、2、5くらい。けれど、相手の言った数字が分かることに一人密かに感激したりして。それにしてもベトナム語の数字は私が知っている他のアジア語と似ていないのが面白い。 |
夫: | ある程度体調が快方に向かっていたとはいえ、空発の下痢は続き、まだまだ万全とは言い難い状態だったので、私はパンのような比較的硬めのものが食べたかった。でも、妻が麺が大好物なのを知っているので、私はちょっと離れた屋台で別々に朝食を取ることを提案。 僕が食べたオムレツパンは、メニューにはオムレツと書かれていたけど、丸い小皿大の鉄板鍋に卵をそのまま落とし、ミートをちょっと添えたもの。つまりは目玉焼き。それにトマト、玉ねぎ、パクチー(コリアンダー)がついてくる、、はずが、外国人にはパクチーを入れてくれないようで、私はパクチーを指さし、コレも!コレも! すると他のベトナム人客よりどっさり盛ってくれた。で、そのパンのウマいことウマいこと。この辺の感想は Vagabond のジンが書いたリアルタイム旅行記・ベトナム編と同じ。僕もアジア一帯を旅してたらベトナムでパンの美味しさに涙することだろう。 それにしても妻はすでに2日目にしてベトナム数字の聞き分けができるようになってるようだ。まったくもってトンデモナイ耳。初めて接したばかりの知らない言葉だらけの音の集積から、もういくつかの言葉を拾い上げちゃっているわけだから。 |
妻: |
8時半を少し過ぎて、シンカフェのクチ・ツアーの大型バスは出発した。大きなバスに参加者は8人。こういった各地へのツアーは毎日出ていて、前日までに申し込めばいいので便利。 ガイドさんも乗り込み、ツアーは始まった。ガイドさんは Thuyen 君という。横で夫は藤井隆に似ていると言っている。 |
夫: | Thuyen 君の顔を見た瞬間、私は「あ、藤井隆だ!」と思ってしまったのだった。そして、妻にそのことを言わずにはいられなかった。もっとも、ベトナムの藤井隆=Thuyen 君はイコールで結んでいるとはいえ、決して藤井君のような妖気はなく、いたって英語の達者な真面目なガイドさんである。ただ、私がすこし困ったのは、彼の英語が達者ゆえにちゃんと聞き取れなかったということである。よってクチトンネルについての詳しい説明は妻に任せることにしよう。何しろ妻は誰よりも真剣に Tuyen 君のガイドを頷きながら聞いていて、それに気づいたThuyen 君もほとんど妻に向かった喋っていたのだから.....。 |
妻: |
クチはベトナム戦争においてとても重要な基地でアメリカ軍も攻略できなかったという地下トンネルで有名なところ。サイゴンからクチまでバスで約1時間。クチに行く道はアジアン・ハイウェイらしい。これを行くとカンボジアやタイにも行けるんだーと思ってみたりする。クチのトンネルに到着。ビデオを見たあとベトコムが作った落とし穴を見学する。 Thuyen 君は “good trap” と言って、すかさず“人を殺すことは good じゃないけどね”とフォローする。次は実際にトンネルへ。一面枯葉でおおわれていて、Thuyen 君がどこに入り口があるのか当ててみてと言う。けれど、どこに入り口があるのかさっぱり分からない。クチ・トンネルのお兄さん(Thuyen 君はその人を soldier と呼んでいた)が枯葉をかき分けるとトンネルの入り口が見えた。人ひとりがやっと入れる位の大きさ。暫く歩き、Fighting Room へ。ここまで歩いていてみると、とても整備された公園のようで、ここで25年前まで戦争があったなんて信じられなかった。そして、ついに地下道を歩くことになった。観光用に一回り広げてあるとはいえ、蒸し暑いし、腰を屈めて歩くのは思いの外しんどい。たった10m位だったのにひどく疲れてしまった。トンネルの壁は堅くて思ったほど湿ってもいない。トンネルは地下3階の構造になっていて、3階からはサイゴン川にも逃げられるようになっているので下の階はもっと湿っぽいかもしれない。 それにしても、よくこんなものを作り、そこで耐えたものだと思う。こんなに狭く、暗いところでは、たとえ通気口が随所にあってもその圧迫感だけで息苦しくなってしまう。そして、また別のトンネルへ。さきほどのトンネルに懲りたファランはこちらのトンネルには入って来なかった。やはりこのトンネルはファランにはアジア人より辛いものなのかもしれない。ここには会議室も診療室も台所もある。台所でタロイモを蒸かしたようなものが出た。砂糖と砕いたピーナッツを付けて食べる。これが意外においしい。しかし、おいしいねーとパクパク食べるのは夫と私だけ。ファランの口には合わないらしい。 トンネル巡りも終わり、バスに乗るまでしばしフリータイム。Thuyen 君が一人で座っていたので少し尋ねてみた。 トンネルでの灯りは? ── ろうそくでした。 クチの人みんながトンネルにいたのですか? ── いいえ、各家にも逃げるためのトンネル、部屋は掘ってありましたし、このトンネルから農作業にも行きました。 クチに来る途中、韓国が作った「コリアン・ロード」というのがあった。私は韓国が好きで何度か訪れ、短期語学留学した。自然と韓国と日本の関係に興味もあり、戦争の話もする。韓国の友達に今回ベトナムに行くと言うと、ベトナムにはベトナム戦争中に生まれた韓国兵の子供がたくさんいるよね、と彼女達から言ってきた。また「自分は何人か」という問題を友達と話していて、韓国と日本の関係は勿論、各国の話に発展し、ベトナム戦争にも話は派生した。そして、ベトナム戦争に韓国は軍隊を送っている。そういうこともあり聞いてみた。 韓国をどう思いますか? ── 昔のことだし、特に何も思っていません。観光にもたくさん来ます。 韓国政府は何かしましたか? ── 援助をしてくれています。昔のことです。 バスが出る時間が来た。Thuyen 君は最後に言った、 “It's a good question.” サイゴンへとバスは向かった。もっと時間があればなと思った。 |
夫: |
このクチトンネルで僕は珍しくクチについての記録写真集を購入した。一枚、単純に気に入った写真があったのと、それなりにイロイロ考えさせられることもあったからだ。しかし、クチトンネル/ベトコムについての雑感的なことは、やはり妻に任せることにしよう。それより僕はこの購入した記録集の写真について書くことにする。 まず写真全体を見渡していえること──それはここに掲載されたベトナム人たちの表情にほとんど悲劇を感じないということである。ばかりか、笑顔すら窺うことができる。これは、たまたまそういう写真が載ってしまったからであろうか? そうなのかもしれない。けれども、見学の最初に見せられた当時の様子を伝えるビデオでも、トンネルを掘る人々の様子はどこか楽しげだった。もちろんベトナム戦争では米越双方で数多くの犠牲者を出し、決してそこに惨劇がなかったとはいえない。だが、妻の韓国のことでの質問に、Thuyen 君が昔のことだから〜とあっさり応えるように、どこかこの国には戦争をものともしない逞しくもお気楽な空気が流れているような気がしてならない。 そして、このような印象は東北的イメージを引きずった日本や韓国、正義という呪縛から逃れられない米国には決してないものだ。また、フルメタルジャケットを筆頭にこれまで観たいくつかのベトナム映画でも、このような呑気な描写は記憶にない。どの映画も常にストイックな印象がベトナム戦争にはつきまとう。それは、John Lennon をはじめとするサブカル連の平和運動も同様で、むしろ彼らの運動はその取っつきやすい感傷性に自身をダブらせ(ヒロイズム)、決してそこから離れた視点でベトナム戦争を、ベトナム人たちを捉えることはなかったのではなかろうか? |
妻: | サイゴンへ帰ってきたのが、1時半過ぎ。あいにく雨が激しく降ってきたので、どこかに昼食を食べに動くこともできず、シンカフェ並びのバックパッカー御用達のような食堂に入る。味はまあまあ。雨がやんできたところで、ひとまずGHに戻り、しばし体を休めて、今度は市場に出てみることにした。 安宿街・ファングーラオ通りの向かいは開発地区で工事中。そのブロックはずっと緑色のトタンで囲ってある。そのトタンの前には男性が間隔をおいてトタンに向かって立っている。みなさん、用を足しているのだ。みんな、ここにやって来る。やはりどうもこういう場面は、ちゃんと見れない。目のやり場に困ってしまう。 |
夫: | ファングーラオ通り北の開発地区はどのくらいのスピードで工事が進んでいるのか定かではないが、建物の屋台骨もしっかりと組まれ、少なくともアベちゃんが訪れた頃とはだいぶ違った様相を示しているのだろう。妻はそこの等間隔立小便がとにかく気になってしょうがないようだ。どこか京都・鴨川の等間隔カップルを思わせるベトナムの等間隔立小便(笑) |
妻: | ベンタイン市場に到着。カンボジアのプノンペンにも大きい一階建ての建物の中にある市場があるので、どうしても較べてしまう。こちらの方がはるかに大きいし、ものも多い。いろいろ値段を聞いてみる。アオザイを作るには布代込みの29万ドン! これではGH近くの旅行者向けシルク屋より高い! 既製品のアオザイなら、10$位まで値切れるけれど(もう少し値切れるはず!)。シルクのバッグを購入。10$を5$に値切ったけれど、これでも高いと思う。ちょっと失敗。市場内でチェーを食べる。勿論、タイにも同じようなデザートはあって、やはり、植物生態と気候の似ている土地は食べ物も似るのねーと思ったり。 |
夫: | ベンタイン市場は確かにデカい。ただ、デカいけど、服、靴、鞄、食材、食器、電化製品あたりに分かれて、どこの店もほとんど同じ商品が置いてあるので、そんなに見所が多いというわけではない。それと、これは後から聞いた話だが、ベンタイン市場は値段が高く、だからと言って品質が特別優れているわけでもない、現地の人にとってあまり良い市場ではなくなってしまったそうだ。ただ、僕はそんな市場の中で食べたチェーの冷たいニュルニュル感がたまらなく美味しかった。 |
妻: |
その後は高級お店のあるレタイントン/レロイ通り周辺を散策。途中、ロッテリアを発見。いいのかな? マクドじゃないだけ、ましかな? それともどこかにちゃんとマクドもあるのかな? ちょうど渡航前にベトナム特集の出た CREA に載ってた Mg Decoration や Zakka などをのぞいてみる。 それから、夕食を食べにベンタイン市場裏のタインビンに入る。カニ入り春雨とかが有名らしいけど、私たちはファンティエットで海産物を満喫するからと黄色い麺+カニ(スープ)とタピオカの麺、ポーク(スープなし)、飲み物に葉っぱのジュースを頼む。カニ入りの方はとてもおいしかった。葉っぱのジュースはタイの方がおいしいような。ベトナム3日目で思ったのは、ベトナム料理もとってもおいしいけれど、タイの味になじんでいるような気がする。もっともいつものことで、その国を離れると初めはあまりしっくりこなかったその国の味がとたんに恋しくなる。始めていったときのスリランカも韓国も実はそうだったけれど、今ではおいしくて仕方がない(実際に今はベトナムの味がとても恋しい)。 |
夫: | そう、この辺、妻はちょっと難しいのだ。先入見が強いというか、何せ「狼」だもんね!(^^;) タイとベトナムは同じ東南アジアでありながら、その文化的背景はだいぶちがう。1年あまりタイに住んだことのある妻だからこそ、思うことも多いのだろう。ただ、僕はどちらかというとベトナムの色彩、味わいの方が馴染みやすいものが多かった。これは何となく軽く思っただけのことなのだが、昔、流行ったクライン群の図式で表してみるのも面白いかもしれない。 |
妻: |
食事も終わり、夫も私も大好きなドリアンを買って帰ることにする。ベンタイン市場の裏の果物屋のひとつに行ってみる。店の奥から、パックに入ったドリアンを盛って来てくれた。よく聞いてみると、それはタイ産のものらしい。パックの中には5コ、ドリアンが入っていた。5コは多いかなということで、大きいのを2つにしてもらい、更に値切る。そうこうしていると、男性が日本語で話しかけてきた。「日本からいらしたんですか?」 発音から、ベトナム人かと思ったけど、夫は「いや、日本人だよ。あんな発音の人、いるもん」と言う。その男性と果物の話をしていたら、ベトナム産のまだ割れていないドリアンを選び始め、「これ、いいと思いますよ。買ってみたらどうですか?」と言って、レジに持って行った。私は、あ、これ買ってみようかなーと思っていたら、その男性はお金を払っている。そして、こう言った。「これ、差し上げますから、受け取って帰って下さい」 「!?」 私と夫は信じられないことが起こったように、きょとんとしてその状況にうまく対応できず、風のように運転手の待つ車に乗り込んでいってしまったその男性に、充分なお礼も言えなかった。 GHへの帰り、夫と私は「こんなことが起こっていいの?」としきりに言っていた。ブイ・ヴィエン通りに入る手前の屋台で、水分補給のためにベトナム入国後初のカフェスアダー。コンデンスミルクの甘さが一日の疲れを癒してくれる。そして、ドリアン・ナイト。2人とも大好きなドリアン。彼の男性よ、ありがとう。こんな夢のような夜が私たちにおとずれるなんて。いくらお礼を言っても足りません。 |
夫: | おじさん、本当にありがとう。もし、このWEB をどこかで見るようなことがあったら、是非ともメールください。あのとき、言い切れなかったお礼がしたいのです。 ところで、このおじさんからもらったベトナム産ドリアン、これを我々が買ったタイ産ドリアンと食べ較べると、さっきの図式はますます明確なものになる。粒が小粒なベトナム産ドリアンは、タイ産の味がファフッと単刀直入、淡泊な味わいであるのに対し、ちょっと濁ったような風味がしてどこか複数的な味わいがある。それはこう言ってしまっては単純に過ぎるかもしれないが、他者の侵入を許した国の味わいであるように思えてくるところがある。 とまれ、もう一度、ドリアンおじさん、アリガトウ! ドリアンナイトで元気になった我らは、11時過ぎにごそごそとGHを抜けだし、Internet Cafe で昭彦クン&アベちゃんに Hotmail していたのでした。Thanh GH の門番のお兄さん、文句一つ言わず待っててくれて、ごめんね。ご迷惑おかけしました。 |