2000年6月3日(土) ベトナムのお母さん。
夫: 朝方、スコール?と思って目を覚ますと部屋の灯りがつけっぱなしになっている。時計を見ると針はちょうど4時を過ぎたあたり。昨夜は帰るなり、そのまま眠ってしまったようだ。そしてスコールかと思った音は、ザンブリコドンブリコと浜に寄せる波の音だった。灯りを消して、もう3時間ばかり寝る。7時半起床。妻は灯りがつけっぱなしだったことも気づいていなかったようだ。
朝食はホテルのレストランでシーフード・パン(鰯のトマト煮にフランスパン)。僕はそれをいつもの朝食のようにパンに挟んで食べる。妻にはちょっと油っこすぎだったらしい。食後、レストランにいる従業員(レストランがそのままホテルのカウンターになっている)にバイクレンタルのことを訊いてみる。一日8$。ギア付だけど、誰でもできるよ!と運転に不安を示す僕にあっさり応えるので、ま、何とかなるだろうと乗り方を教わって、今日の足とすることにした(さすがに2人とも昨日のチャリ移動にはバテていたのだ)。
バイクバイクの運転は、ほとんど初めて。原チャの経験はあるにはあるが、それには過去のいやーな記憶がよぎる。しかし、運転の方はギヤ・チェンジがあるといっても車のように半クラッチとかの面倒くさいことは何もなく、ほとんどチャリの延長と言っていいくらい簡単に乗れるものだった。ひとまず最初は40km/h くらいで走ってみたけど、すぐに慣れたので、70km/h くらいまでスピードをあげる。これがもう、めっちゃ爽快!!! 昭彦クン、チャリ観光、ご苦労様!(笑) バイク観光は楽で速いばかりか、海岸沿いを風を切って走る、ただそれだけのことが気持ちよくてしょうがない。「バイク、太陽、海、女(妻?)」なーんて、コッ恥ずかしい紋切り型があるけど、そう言いたくなるのもわかる気がする。もうこれだけで充分ここ来た甲斐はあったってもんだ!!
妻: バイクベトナムでバイク。昨日の深夜のサイクリングもそうだったのだけれども、一人だったらしていなかったこと。今までの海外一人旅は一箇所で暫く過ごすのでホテルでのんびりしたり、友達の家で過ごしたり。夕食後も余り出掛けない。夫よ、Cam o'n! でも、夫は物足りなかったりして? 夫の背中につかまってバイクで風を切る。気持ちいいな。ギア付きバイクが初めての夫がバイクを乗りこなしているのを見るのも頼もしい。バイク・太陽・海・男(夫?)とはこのこと? そしてベトナムで見たかったものの一つ、チャンパの遺跡に着いた。
夫: 今回のベトナム旅行、当初はチャンパの遺跡巡りをメインにして、ホーチミンからフエまで飛び、そこからダナン、ミーソンと行って、そのあとリゾートをまわって帰ってくるなんて無茶なスケジュール立ててたけど、どだい無理な話だったよね。ま、僕が初日に体調崩しちゃったってのもあるけど、でも、今回はこことホーチミンだけにしておいてよかった。だって、やっぱりひとつの町に最低3日はかけたいじゃん!
ポーハイ遺跡それでも、ファンティエット北にはポーハイ遺跡というチャンパの遺跡群の一つがあり、バイク飛ばして行ってきました。岬にちょこんとって感じの、小さな遺跡。それでも観光客はそれなりに来ていて、と言っても、あれは団体さんだったから、たくさん来てるように感じたのかな? 僕には町であまり見かけなかった物乞いの老人や子供が何人かいたのが印象的だった。それから、遺跡の入り口でバイクを日陰に置いて見張っててくれたオジサンに駐輪代請求されて払わなかったのには今でも後悔している(この時点の僕はベトナムではバイクに限らずチャリでも駐輪代を払わなければならないということを知らなかった)。
妻: 物乞い物乞いのおばあさんの歌はなかなかよかったね。あなたがお金をあげたら、おばあさん、Mercy って言っていたよ。タイに留学(遊学?)していた時にチャンパの王朝の話を授業で聞いていたので、アジアの遺跡・王朝の一つとしてチャンパの遺跡には興味があった。ここのはちょっと迫力に欠けて、アンコールやスリランカの遺跡群にはどうしても見劣りしてしまうのは否めないけれど、たくさん遺跡のありそうなミーソンとか行ったら凄かったかもしれないね。でも、遺跡好きの私はチャンパ遺跡を一つ見られただけでも結構満足。今までには感じなかった、他の東南アジアの国にある空気が感じられて、東南アジア文化圏を見たような気がしたから(しかし、東南アジアもマレーシアやインドネシア、シンガポール他、宗教、文化もいろいろだ)。
夫: 墓地そういえば、道路を挟んで遺跡と反対側の敷地には、一面、墓地がひろがっていた。ホーチミン市内では見かけなかったけど、クチやミトーへ行くバスの中からは何度か点在しているのを見て、妙に気になってたんだ。何しろ日本の墓に較べると一つ当たりの大きさがえらいデカイ! そこには一族が埋葬されているのか? それとも一人一個なのか?? その答えはあとからアベちゃんのVRLを読み返すことで知ることになる。
ベトナムの天気は変わりやすいので、空が青いうちにと、バイクをUターンさせて、ムイネーの砂丘のある方へ向かう。ただ、ムイネーの砂丘は、今、走っている国道1号線の道路から見えてはいるものの、どこから入っていったらいいのか検討がつかない。そこでまず、昨日昼食を取った HANH CAFE 隣のツアーオフィスで訊いてみることに。するととにかくこの道をまっすぐ行って、途中で左に曲がれ!とのこと。ま、ほとんど一本道なんだから、こんな説明くらいにしかならないのも当然か?(^^;)
ガソリン補給途中、僕らの泊まるホテル手前あたりでガソリン補給。実は僕はバイクにガソリン入れるのも初めてで、最初、どこに補給口があるのかもわからず、戸惑ってしまう。すると、なんと、昔、原チャリ通学してたという妻が、バイクシートを指さし、この下だよ!と教えてくれた。Cam o'n! ガソリンを満タンにして再び出発。10分くらいで町らしい雰囲気というか、道を往来する人の数が増えてきた。そして最初の左に折れる道。その曲がり角にちょうどチェー屋さんがあったので、念のため、妻に道の確認をしに行ってもらう。すると妻がなかなか戻ってこない。僕もバイクから降りて近寄ってみると、何やら店の人と楽しそうに話している。チェーせっかくだからと、そこでチェーを頼んでちょっと休憩。チェーはホーチミンで食べた寒天などの具がいろいろ入ったものではなく、液状の甘い汁に氷だけといった単純なものだった。それでも暑い日差しに馴れないバイクで疲れも溜まってたので、とにかくその冷たさがカーッと体に染み込んでいく。店の人(ていうか、お母さん)は本当に愛想のいい人で、言葉が通じなくても、精一杯明るく僕らに振る舞ってくれる。と、そのうち、辞書を片手にどうにか英語の話せる娘さんたちも会話に加わり、彼らも一緒に砂丘へ行くという話に展開していった。さらにはお昼まで食べていけ!だって....(^^;)
妻: その一家はお父さん、お母さん(39)、息子(17)、娘(15)、いとこの女の子(20)、おばあさんの構成で、子供があと2人いるらしい。お母さんといっても私と4才しか違わないわけで、それでもお母さんは私を子供のように扱うので、何だか不思議。お父さんは歯医者さんで家の中に診察用の椅子がひとつだけあった。娘さんは少し英語がわかるので、辞書を片手に身振りで会話。 ランチご飯は野菜と肉団子のスープに卵焼きにごはん。下痢気味の私には丁度よかった。チェー売りはお父さんにまかせて、息子運転のバイクにお母さんといとこの彼女が乗り、夫のバイクに私と娘さんが乗り、砂丘へ向かった。この家は女性上位みたい。うーん、どこかの国のお家に似てるね。お母さんはしきりに仕切るし。
夫: そう。僕もその家でご飯をご馳走になり、団らんしているうちに、去年の記憶がみるみる蘇ってきた。タイのお母さんの家。違うのは、妻が言葉が通じないということと、ご主人が結構おしゃべりなあたりか? ご主人のおしゃべりは、ちょっとパン屋の長谷川さんご主人を彷彿させる。よく見ると顔もどことなく似てる(^^;)
砂丘へは、僕らも入れて6人で出発。バイク、今日が初めてなのに、もう3人乗り(^^;) 前方を走る息子さんには少しスピードを落としてもらう。そのバイクの一番後ろに座るお母さんがずっと後ろを向きながら、道先を指示。う〜ん、まさに完璧な仕切り。彼女のことは「ベトナムのお母さん」と命名しよう!!
砂丘そうこうするうちに我々の乗ったバイクは砂丘の入り口らしきところに着いた。そこでもやはりバイクは日陰に置かしてもらって、駐輪代を払う(と言っても、僕らのバイクの分、息子さんが払ってくれた)。そしていよいよ砂丘。入り口付近はとにかく人の足跡だらけで、しばらくはこんなものかと思っていたら、一丘越えてもまだ一面足跡の山(ってゆーか砂丘)。赤い花見渡す限り、足跡が付いている(^^;) 我々がムイネーへ行こう!という決め手になった『地球の歩き方』に出ていた「赤砂に美しい風紋が広がる」景色はいったいどこにあるんだ?? ま、我々も足跡をつけてる当の本人なんでそんなに文句は言えんのだけどね。ただ、青い空と赤い砂の色だけは『地球の歩き方』に掲載された写真と同じだった。
妻: 赤い砂私も砂丘といえば、風でできた風紋のイメージが強かったので、行ってみると、「あれ?」という感じで砂山にしか見えなかった。砂丘の砂が使えるかどうか知らないけれど、セメントとか建築材料に使えそうで持って帰りたくなってしまったよ。砂山も湿っているためか風紋もできそうになかったね。そもそも、広島の近くの鳥取砂丘にも行ったことがないし、砂丘というものがどんなものなのか知らないのだから、どう反応していいかにも戸惑ってしまったよ。季節が違えば様子も違うのかな。それにしても、どうしてここは砂丘になったのかな。
ピクニックそして、それからはみんなで写真を撮りまくり。お母さんがここで撮ろう、今度はこの子とこの子を撮ってと仕切り始めた。みんな写真撮影が大好きみたい。そういえば、タイ人も写真撮影は大好き。それも人ー自分が写真に納まることが。彼らのアルバムを見させてもらうと、そこには人ばかりで景色はほとんどない。スナップ写真一緒にどこかに出掛けるときもここで撮る、あそこがきれいーと撮りまくる。そして、撮影にも馴れたものでポーズも顔もきまっている。この一家はそこまで写真撮影馴れはしていなくて、みんなで楽しくスナップ写真!という感じでピクニックに来たみたいだった。そして、私はお母さんとぴったりくっついて何度も写真を撮った。
夫: ナイスショット後日談だけど、ベトナムから帰って一緒に写真を撮った人たちに手紙と写真を送ったけど、彼らへの写真の量(合計19枚)が圧倒的に多かったもんなぁ(^^;) それでも、僕はみんなが砂丘を闊歩する姿を一枚、とてもうまく写真に納めることができたので大満足。もっとも、その写真をあの家族が見て喜ぶかどうか?? 顔、ちっちゃいもんなぁ。
高橋由一ビーチその後はまたまたお母さんの仕切りで砂丘を降り、その向かいの浜辺へ。この辺の浜辺は外国資本のリゾートホテルがならぶビーチに較べると庶民的(ちょっと高橋由一の描いた江ノ島の絵みたい)なところで、外国人旅行者はほとんど見かけない。地元やホーチミン界隈のベトナム人たちの避暑地のようだ。こんなところに、こんなにわんさか人がいたとは。。そして、日本でいうと「海の家」みたいなカフェで一服。ココナッツ・ジュース全員ココナッツ・ジュースを頼む。するとお母さんが僕らのために果肉を食べるためのスプーンを持ってきてくれたり、スプーンを入れにくいのを見ると、実を半分に切ってくれたりと自分の子どもたちのことを忘れて世話してくれる。う〜ん、もう本当に「ベトナムのお母さん」だ! ココナッツ・ジュースはこれまで飲んだ中でもかなり美味しい。僕らが満足そうに飲んでるのを見て、お母さんは「ngon? ngon?(美味しい?)」と何度も繰り返し聞く。これもタイのお母さんの「アーロイ マイ?」とおんなじ。本当にもう何と言っていいのやら?(^^;) そして、妻の腕を手に取ってその白さを「dep dep(美しい)」というのだから、私はもうほとんど deja vju であった。
日焼けそれにしても一つ失敗だったのが日焼け止め。途中で気づいてUVカットクリームを塗ったものの、ときすでに遅し。腕も足ももう真っ赤っか。無惨にもゾウリの鼻緒のあとだけがくっきり白く残ってしまった。それとバイクでずっとアクセル握ってたせいか、手も指先だけが白い(^^;)
妻: トカゲその砂浜を歩いていて発見した物! それはカゴに入った何十匹ものトカゲ! あぶって食べるんだって。生きたままを頭だけ落として皮むき作業をしている人もいる。気持ち悪がる私を見て、みんな笑っている。おいしいのかなー。姿焼きになってしまうのかなー。
ベトナムでの夫の日焼けはひどい。昨年のタイ旅行の時のこともあって、ちゃんと日焼け止めクリームも塗ったのに。今回も夫が「イタイ・・」と言って眠れなくなったらどうしようと心配。
砂丘から帰りお母さんのお家で少し座っていたけれど、とても暑いし疲れたのでいったんホテルに戻り夜また会いに来ることにして、暫しのお別れ。ホテルに戻り、ファン付きの部屋に移動。そして“海へ”。海にも馴れて夫について少し遠くまで行ってみる。海は楽しいね。少し恐いけど。
夫: 海へ考えてみれば、妻はあまり海のことを知らずに“海へ”という歌を作っていたわけか。私は“海へ”の前奏を歌うのが好きなので、海に入って「ターンッタッタッタンターン」と口ずさむと妻は照れくさそうに私の口元をふさぐ。それはいつものこと。
1時間ばかし泳ぐ、というか水浴び。相変わらず海は砂で濁っていて、深く潜る気にもなれず、泳いだーという充実感はなかった。日中の疲れを取るためにホテルのレストランでカフェ。妻はカフェ・スア。私はカフェ・スア・ダー。2人ともこのスア(コンデンスミルク)の甘さにすっかりハマってしまった。だーい好き。その後しばらくこの筆談などを書きながらくつろいでいると、ホテルの従業員がやってきて、レンタルバイクは午後7時までの貸し出しで、それ以降は1時間につき15000ドン払わなければならないと言う。えーっ!?って感じだったけど、仕方がないので、我々は急遽ベトナムのお母さんのところへ別れの挨拶をしに行き、その後、ホテルのレストランで夕食を取ることにした。
ムイネーの町並みをまだちゃんと見てなかったので、ベトナムのお母さん宅を通り越して、ひとまず町まで走る。通り過ぎるとき、店の前でお待ちかねの様子のお母さんの姿が見えた。ムイネーはとても小さな町、というか村。中心部に軒を連ねる店も数えるほどしかない。それでも総領町よりはだいぶ大きく、食堂は人であふれかえっている。
妻: でも、総領町にはスーパーがふたつもあるんだぞ。ガソリンスタンドもふたつ。お好み焼き屋さんも喫茶店もひとつずつある。信号だってひとつ。どおっ!
夫: いや〜、でもあのにぎわい方は総領町じゃ、おいでん祭と秋祭のときくらいの話でしょう。あとは善彦くんが張り切るはやざき総領か?(^^;)
お母さんのところへ戻ると、待ってましたとばかりに部屋へ通され、チェーやらタンロンやらマンゴーが出てくる。そして夕飯はまだか?と。。もちろんお母さんの家庭料理も魅力的だったんだけど、そのときの僕らはリゾート・豪華・シーフードの誘惑には勝てず、もう食べてきたとちょっとウソ(^^;) それとバイクレンタルの事情も話し、8時頃までにはホテルに戻らなければならないと伝える。
結婚パーティー僕らは特に土産になるようなものを持ってきていなかったので、せめてものお礼にと、日本の1円、50円、100円硬貨をプレゼント。妻はおもむろに我々の結婚パーティーのときのポラロイドを取り出し、みんなに見せる。すると、お母さんがそれも欲しいだって。。(^^;) でも、さすがにそれはポラロイドで一枚しかないので、別の写真を送ることを約束し、互いに住所交換をした。それにしてもマンゴーが美味しい。妻は熟してない硬めのマンゴーが好きで、去年のタイではそればかり食べていたので、今回柔らかいのが味わえてマンゴーの欲求不満が一気に吹っ飛んだ気がした。私が妻はマンゴーが Most Favorite なんだと言うと、さらにもう一切れ出してくれる。きっと今晩の家族のデザートだったろうに申し訳ない。そして8時。我々が別れのあいさつをして帰ろうとすると。。
妻: お母さん、ホテルまで一緒に行くと言う。それではとお父さんとだけお別れの握手。お父さんは私達が帰るのをずっと見ていてくれた。お母さんと娘さんは息子さんのバイクに乗り、私達二人と計5人でホテルに向かった。5分位でホテルに到着。
タンロンふと、後ろを振り返ると、そこにはバイクタクシーで駆けつけたお父さんが! 先ほど私達にあげると言っていたタンロンふたつを手にして。私達もお母さんもそれをすっかり忘れていたのだ。お父さんはそれを持って急いで追いかけてくれたのだった。ここでお別れかなと思ったら、私達の部屋を見に来て30分位お話。部屋の料金やバイクのレンタル料をしきりに聞いていた。私達夫婦とお母さん、息子、娘の5人で向かい合って座り話していて、お父さんは少し離れて座っていたのに、お父さんは一人喋り続けていた。そしてお父さんはトイレに立った。が、なかなか帰ってこない。中で何かしている音だけは微かに聞こえる。お父さん、何してるんだろう。家族はお父さんのことなど気にもとめずお話ししている。そしてお父さんはやっとトイレから戻ってきた。後でトイレに行ったらそこに置いていたザ・ボディショップのシャンプーやコンディショナーの匂いがバスルーム中に漂っている。お父さん、せっけんか何かかと思ってみんな試してみたらしい。そうやっているお父さんの姿を想像したらひどくウケてしまった。最後のお別れをした後、ホテルで夕食。こうして旅で出会う現地の人々。私ー私達は恵まれていると思う。どの国に行ってもそこの人々の親切に出会い、長いお付き合いにもなる。今回のベトナムでもこの一家に出会って、親切にして貰い、楽しく過ごすことができるとは思ってもいなかった。
夕食は蒸したカニにスープにごはん。今夜はカニは一人一匹!!(こんなことに「!」マークを付ける私・・) これもおいしかったね。サイゴンでも食べちゃおっか!? それにしても、あの一家、ホテルから帰る時は4人だったけど、どうやって帰ったのかな。やっぱりバイクに4人乗り?
夫: カニ実はみんながなかなか帰ろうとしないので、我々はレストランが閉まってしまうんじゃないかとちょっと不安だったのだが、どうにかセーフ。そしてカニにスープにご飯にビールで、兼ねてよりのリゾート豪華絢爛シーフード料理という欲望を2日続きで満たしたのだった。
食後、部屋に戻って灯りをつけようとすると、蛍光灯がちゃんとついてくれない。なおしてもらってもよかったのだが、月明かりが窓から差し込んで部屋はさほど暗くもなく、どうせ寝るだけだしと思って、そのまま放っておくことにした。何となく私は一人、高く照らす月と星空を見上げに浜へ出る。すると同じホテルに団体客で来ていたベトナム人の男性が一人、浜辺のチェアーに腰掛けて海の方を見ていた。みんな寝てしまって「I'm alone.」「おごるから一杯つきあってほしい」と照れくさそうに話しかけてくる。僕はその照れくさそうな身振りに好感を覚えたので、「部屋にいる妻にことわってから」といったん部屋に戻ってから、彼に一杯つきあうことにした。彼の名前は Nthuep。34歳で英語は僕よりちょっとウマイ。まずはグラスを合わせ、お互いの国の「乾杯」という言葉を相互に言い合う。「カンパーイ」「ヨ〜〜〜」。その声を合図にふたりで手をパチンと合わせ、グラス一杯のビールを飲み干す。そして、どちらからともなく、お互いの国の歌を歌おうということになり、僕は疑問符付で“君が代”を歌った。歌いながら思ったのだけど、“君が代”って歌自体は短くても、言葉の一音一音はどれも長く引き伸ばされ、喉元に心地よく響く。Nthuep が歌うベトナムの国家も、彼の控えめで誠実な歌声が波音に乗って、、そう、その瞬間、宇宙にあるすべての音の中で、ただその二つの音だけが、唯一、僕の耳元に送り届けられているのようで、それはとても贅沢な時間のように思われた。もちろん酔い心地も手伝っていただろうが、“君が代”を歌う僕の声も同様に Nthuep の耳に届いていたにちがいない。図々しくもそんな風に思わせてくれるひとときだった。
メコンセンターそのあと、二人で V-POP Music のことなど話す。昭彦クンメコンセンターで一緒に演奏したニュー・クインやアイ・ヴァンの名前をいうと大ウケ! その僕の友人・アキヒコがニュー・クインの歌の間奏でダンバウを弾いたことも話すと、それはリトルサイゴンでか?と訊かれ、日本でだ!と答えるとさらに大驚きして、もう一杯、僕のグラスにビールを注いでくれた。そんなこんなで二人盛り上がっていると、話の腰を折るようにホテルの従業員が浜辺への柵を閉めたいとやってきた。ま、時間もだいぶ経っていたので、宴はそこでおヒラキに。お互いグラスに残ったビールを一気飲みして、「See you tomorrow!」と言ってから、いい気分のまま、部屋に戻った。
部屋に戻り、極楽気分が続いていたので、妻の前で妻の歌“You are”を披露。だいぶ音程がハズれていたようで、続いて妻が正しい音程で歌ってくれる。私はしきりにその歌声にハモらせようとするのだが、酔っているのかどうもうまく行かない。そうこうするうちに私の頭はさきほどの一気飲みが祟ったのか、ガンガン痛く疼きだし、しばらくうなされて眠れぬ夜が続くのであった。

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