2000年6月7日(水) ソウル。みひゃんとユミちゃん
夫: コインロッカーソウルにはほぼ予定通り、朝8時半頃着。機上で一瞬聴覚がおかしくなったので、また内蔵が掻き乱されたんじゃないかと不安になったが、今のところは体調が悪くなってるようでもない。むしろ妻の方が昨日のドリアン2度が重かったのか、ドリアン状のウンコに悩まされてるようだ。二人とも馴れた金浦空港での出国手続きを速やかに済ませ、市内までたったの600ウォン(約60円)で出られる地下鉄へと向かった。切符売り場の脇を通った際、あれば利用しようと言っていたコインロッカーをめでたく見つけ、重たく不要な荷物はみんな放り込む。コインロッカーあるってとこがベトナム&タイ/日本&韓国の大きく違うところ。
妻: 機内で全然眠れなかったので流石に眠い。市内(シネー)に出る地下鉄の中で眠ってしまい、夫側でなく、隣りの女の子にもたれてしまって迷惑を掛けていたらしい。新進荘一年振りの韓国。ソウルやバンコクは家に帰って来たような気になったりする。 シネーに着いて夫が3年前にも泊まったという旅館シンジンジャン(新進荘)に落ち着く。夫が言うようにアジョッシ(おじさん)もアジュンマ(おばさん)も親切そう。そして宿泊代もシネーにしては安い。まず、みひゃんユミちゃんホジョンに電話をして、それぞれ会う日時を決める。みんなに会うのが本当に嬉しくて楽しみ。 チャジャンミョン今は夫のお腹も大丈夫みたい。お昼まで少し休んでから近くの中華料理屋にチャジャンミョンを食べに行った。韓国に来たら必ず食べたいものがこのチャジャンミョンとトッポッキ。これを食べないと始まらない。昔、夫と広島シネーでデートした時にチャジャンミョンらしきものを発見したが、余りおいしくなかった。やはり韓国で食べないと!一年振りのチャジャンミョンを味わう。なぜこれが日本にもないのだろう。中華料理屋さんか韓国料理屋さんにメニューに入れることを是非検討して欲しい。これに恋焦がれる人もたくさんいるはず。次に食べられるのはいつになるのだろう。
昼食の後はバスでイテウォンへ。広島三次の友達(卑弥呼のヒロさん)に頼まれた靴のオーダーに。無事オーダーを終えて、マクド300ウォンのアイスクリームを食べに入る。食べ終わったら、夫はテーブルに伏せて眠り始めた。暫く寝かせておこう。 タワレコ前 私はその間にみひゃんに電話を入れて三時半にチョンノで会うことにした。そろそろ行く時間になったので夫を起こすと、夫の様子が少しおかしい。ただの疲れや寝不足ではないみたいだ。バスに乗りチョンノに向かう。南山のトンネルを行くバスを選んで乗ったが、夫は外を見る元気もなく目を閉じている。みひゃんとの待ち合わせ場所のタワーレコードに着き、みひゃんを待った。
夫: バーキン みひゃんは髪が伸びたからというわけじゃないんだろうが、何だかサイズが一回りデカくなったような気がする。しかし、ソウル到着時には問題ないと高を括っていた私の体調、みひゃんと会う頃には結局ひどくなってしまっていた。イテウォン行きのバスの中あたりから徐々にその兆候は現れていた。やたらとカラダがだるくなっていたからな〜。とまあそれはともかく、待ち合わせ後、我々はみひゃんの提案する「ここはソウルの若者らしく、バーキンでもどうですか?」の言葉に乗って、ソウルのバーガーキングへ入る。しばらくは妻とみひゃんの会話に耳を傾けていられたが、次第にお腹がゴロゴロ鳴りだして、こりゃどうにもじっと座っておれん!ということで、二人を残して先に新進荘へ帰らせてもらった。
観光情報局 帰る道すがら、まだ少しだけ元気が残っていたので、去年も三年前も訪れた観光情報局へ立ち寄ってみる。ここは閲覧用のパソコンが数台置いてあって、インターネットが無料で使えるのだ。ところがいざ入ってみると、改装/閉鎖するのかわからないが、フロア全体がバラバラに解体されていた。看板などが無惨に倒されてる様子は見覚えがあるだけに妙に生々しい。呆然として新進荘に戻り、しかし、まず向かねばならないのは何よりもトイレだった。水浸しのウンコ。まずいことに全身鳥肌も立っている。これはベトナム到着日に味わったあの悲惨な症状と同じ。また激しい腹痛としばらく付き合わなければならないのかと自身の飛行機アレルギーを恨みつつ、トイレ→ベッド→トイレ→ベッドを繰り返す。こういうとき、部屋が狭いというのはある意味とてもラッキーだ。すぐトイレに立てるからね。しかし、ベッドに入ってもなかなか寝付けず、枕許の手の届きそうなところにあるものを観察したりして無為に時間をやり過ごす。ベッド脇の壁に扉があるので開いてみると、なぜかカメラが出てきた。ご丁寧にフィルム2本と乾電池も置いてあって、これは客に使ってもらおうということなのだろうか?などと不思議に思っていると、妻がユミちゃんを連れて戻ってきた。
妻: みひゃんみひゃんは明日、日本に引き上げるという忙しいスケジュールのなか、私達のために時間を作ってくれた。本当にありがとう。日本に引き上げるというか、また韓国で学ぶために出稼ぎに行くと言っていた。今度はいつ会えるかな。韓国でかな。その日を楽しみにしています。
国税庁みひゃんと別れて、ユミちゃんと待ち合わせの国税庁のビルへ。ユミちゃんに夫のことを話すと残念がる。ユミちゃんお気に入りの屋台のトッポッキやホトック、ドーナッツを二人だけでこんなおいしいものを食べたら可哀想よねと、夫にも食べさせようということで、買ってくれて旅館に持って行った。みんなとてもおいしかった。夫もみんな食べてしまった。しかし、その後、夫の具合はどんどん悪くなる一方。これからユミちゃんの家に行くつもりだったので、下宿を見たり、ユミちゃんの家族に会わせてあげられないのは残念。しかし、本当に苦しそう。一人でいたいと言うし、ユミちゃんと先ず薬局に行き、薬を調合してもらい、ユミちゃんが買ってくれたその薬をさっそく夫に飲ませた。夫よ、できるだけ早く帰るからね。
夫: 路地ユミちゃんが来てくれたばかりのときはまだよかった。しかし、迂闊にも私はユミちゃんの買ってきてくれた超ウマそうな韓国版ドーナッツに手を出してしまったのだ。これはもう本当にバカだとしか言いようがない。食べ終わってしばらくすると、当然の災禍ともいうべきように、口からではなくお腹の底の方から呻き声が出そうってくらい苦しくなってきた。こうなると、かえって一人でいた方が誰の気も憚れずに呻き声が出せて楽だという気持ちになるものだ。恩を仇で返すようだが、早く二人とも出ていってくれないかな〜と願うはそればかり。
8時過ぎ、薬を買いに行くと二人で出掛け、ようやく一人にさせてもらえる。その間にこれまで我慢し続けていた呻き声を一気に吐き出すと、少しだけ楽になったような気がして、二人が戻ってきても前よりは穏やかな顔をしてられるようになった(んだと思う)。それを見て安心したのか、やっと二人はユミちゃん宅に向かってくれた。
再び一人になってからは心おきなく呻き声をあげることもできるし、お腹を暖めると幾分かは楽になることにも気づいたので、腹這いになって蒲団を体に巻き付けるようにしてるうちにうとうとしてきてやっと眠ることができた。薬はユミちゃんが買ってくれたんだね。カムサハムニダ!(=ありがとう)。そして妻よ、その後の看病、カムサハムニダ!
妻: バスで高麗大学近くのユミちゃんの家に行った。お父さんは忙しくて残念ながらいらっしゃらず、会うことができなかった。お母さんと犬のテジと一年振りの再会。3ヶ月という短い期間ではあったけれど、家族のようにして下さり、私はここで本当に気持ちよく、楽しく過ごすことができた。ユミちゃんの家犬のテジは目を疑う程太ってしまっていて思わず「テジじゃない」と言ってしまったが、やはり可愛く、私になついて膝に乗ってくる。ここにいた時もよくテジは勉強中も膝にのりたがり、一緒にテレビを見たり、私の腕枕で眠ったものだ。お母さんが夕飯を作って下さった。お母さんの料理は本当においしい。外で食べる韓国料理もおいしいけれど、お母さんの手料理にはかなわないといつも思う。夫に食べさせられなくて本当に残念。お母さんも新郎も来られたらよかったのに・・と心配して下さった。そして痩せた私のことも。食後は3人でテレビドラマに熱中。こんな光景もまるで昨年ここにいた時みたい。まるで家に帰ったみたい。ここに下宿していたときもお母さんには夫の写真を見せていたし、紹介できたらよかったのだけれど。大学のキャンパスを歩いたり、夫に毎日メールを出すために通っていたPCバンの数々を見せたり・・・。遅くなるといけないので、ドラマが終わったら帰ることにした。帰り際にお母さんは「連絡してまた来なさいね」と言って下さった。そして、結婚生活への助言と。
ユミちゃんがバス停まで送ってくれた。ユミちゃんのことや私のことをいろいろ話してバスを待った。もっと話していたかったけれど、バスが来たので話を途中で切り上げた。今度来る時は夫も元気だといいな。旅館に帰ったら夫はまだ苦しそうで、薬を飲ませて休んだ。

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