影の病──芥川龍之介

自分の記憶力の問題を書いた後、これといった因果関係はないのだが、
ふと急に先日読んだ芥川龍之介『影』のことが気になって検索すると
雨月妖怪堂「第八十九話:影の病」という記事が目に飛び込んできた。

前回まったく触れなかったが、

のどれにもドッペルゲンガーのことが触れられている。
Wikipedia「ドッペルゲンガー」には事例に芥川の名前が挙がっているくらい有名な話である。

ここで恐縮だが、雨月妖怪堂「第八十九話:影の病」をまるごと引用する(ま、引用源も半分以上引用だが)。

第八十九話:影の病

解説:所謂ドッペルゲンガーのこと。離魂病ともいう。文豪・芥川龍之介も晩年、自分の幽霊を目撃したらしいが、彼の蒐集した話をまとめた「椒図志異」という手帖に、この話が見える。

●北勇治という人が或る日、外から帰ってきて居間の戸を開けると、そこには机に押しかかっている見知らぬ男がいた。誰かなと思い見ていると、それは髪の結い方から衣服・帯まで、自分の後姿を見たことはないが、自分と寸分違わぬ人間だった。
彼が顔も見てやろう、とその人の傍へ歩み寄っていったところ、向こうを向いたまま、障子の少し開いているところから椽先へ出て行ってしまった。追いかけていって障子を開けたが、その頃にはもう何処かへ去ってしまったあとだった。家内にそのことを話すと、何故か物を言わずに眉をひそめたという。
それから勇治は病気になり、その年のうちに死んでしまったという。これまで、三代までが自分の影を見て亡くなったそうだ。

芥川は晩年、「歯車」「凶」など、遺稿も含めて何処か不気味な作品を幾つか残したが、そこには彼の実体験が反映されていたのであろうか。
【参考文献:「芥川龍之介 妖怪文学館」(東雅夫/著、学研)】

芥川の蒐集した話をまとめた「椒図志異」はアマゾン中古で6,500円で売っていて、これはこれで気になるがそれはともかくとして、芥川がこうした話を蒐集していること自体が芥川の悩みだけではなく、それへの関心を物語っている。

前回、芥川を「彼の風貌からつい想像してしまいがちな頭脳明晰、作品の中においては破綻がなく、精緻で神経質そうな印象」と書いてしまったが、もう少し視点を変えて読んでみても面白そうである。

新潮文庫 高松次郎装幀

新潮文庫 高松次郎装幀

ときに現在、東京国立近代美術館では「高松次郎ミステリーズ」展をやっていて、SNSで「影ラボ」コーナーで撮った写真をアップしてるのをたまに見掛けるが、彼も影を扱った作家ながら、彼からドッペルゲンガーの気配というのは一向に感じられない。実際「高松次郎 ドッペルゲンガー」で検索しても関連のありそうな情報は何も出てこない。彼の影の扱いは至って投射的なもので、それ以上でも以下でもなく、故に前回引き合いに出したアドルフォ ビオイ=カサーレス『モレルの発明』に近い手付きを感じるのである。というか手前味噌にはなるが、実は自分もかつて影を扱う作品を制作したことがあり、そこにはドッペルゲンガー要素は微塵たりとも視野になかった。

ただ、そうは言いながら一つだけ面白いものを見つけてしまった。
「芥川龍之介 高松次郎」で検索すれば出てくるが、高松次郎はかつて芥川龍之介『羅生門・鼻』新潮文庫の装幀を手掛けたことがあった。現在、別の装幀に変わってしまったようだが、この高松の仕事は何とも言えず、カッコイイ!

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