芥川龍之介『影』

Kindle購入しての最初の読書本には芥川龍之介『』を選んだ(¥0)。
yamaさんに以前薦められ、iPhoneの青空文庫で落としてはいたのだが、
短編なのに読み進められずに置いていたものだった。

もっともiPhoneをKindleに持ち替えたからと言って、読み進められずにいたものが急に進めやすくなるわけではなく、唯々、お初のKindle読書本として選んだからには最後まで読もうという妙な貫徹精神から通読したに過ぎない。
ただ、終盤に至って手前の話が一気に見開かれる構造にはなっているので、完全にワケわからぬまま読み終わったわけではないのだが、そこに至るまでは本当に入ってこない小説だった。

それとKindleでは本文に入ってしまうと四隅等に現在読んでいる書籍の情報が表示されないので、表紙に戻らない限り、本のタイトルが確認できない。今回、間抜けなことに読んでいる間にタイトルを失念し、タイトル自体が最大のヒントにもかかわらず、そこが朧気な状態で活字を彷徨う読書となっていた。

芥川龍之介の小説をちゃんと読んだのはいつ以来だろう。
子どもの頃、教科書にも載るような『蜘蛛の糸』『鼻』『杜子春』は、児童向け短編ということもあってか非常に親しみやすく、芥川を最も入ってくる作家として捉えていた記憶がある。ただ、彼の風貌からつい想像してしまいがちな頭脳明晰、作品の中においては破綻がなく、精緻で神経質そうな印象から次第に自分から手に取って読もうと思う作家ではなくなっていた。実際『影』はその極地とも言えるカラクリ作品ではないだろうか。

『影』を読み終え、仕掛けに気づいたところで想起したのは、アルゼンチンの小説家・アドルフォ ビオイ=カサーレスが1940年に書いたSF風の長編『モレルの発明』である。
この作品も影ならずともプロジェクタで投射した映像が現実と織り交ざっていく(って話だった気がする)。
学生時代に読んだものだったが、ただ、この作品に入っていけない感覚はなかった。
その違いが何なのかは改めて両作品の再通読が必要そうである。

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