私は耽溺する 私は中毒になる
     
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      考えてみると私は現実に本当に鈍い人間だ。
      今すぐに何か衝動的な消息を聞いたりしてもショックでパニックになったり気絶したりする
      能力がないという意味だ。実際に今まで経験してきた客観的にとても衝撃的でもあったいくつもの
      ことに初めて触れた時、私は「情報入力−衝撃−状況対処」の順序ではなく、「情報入力−状況対処」の
      順序を踏んできた。何、正直に評価してみると、「情報入力−状況対処−かなり時間が経ってから衝撃」 の
      とんでもない順序を踏んだ計算だけれども、そうなのだ。私は現実に鈍くなろうと努力した余り、
      自分自身を誤魔化しながらも、気付くことのできない種類のバカの人間だ。
      このために悪い中毒ということを知りながらも、私はあらゆる種類の仮想現実を耽溺する。音楽、映画、
      漫画、アニメーション、ゲーム、インターネットを楽しんで、私は現実世界との疎通回線を完全に遮断して
      止めてしまったまま、仮想現実の甘い汁を全身で貪欲に吸収し、幸福観に浸るのだ。「赤毛のアン」の
      気分を私は完璧に理解できるのということだ。


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      私のこのような耽溺の性向を悟らしてくれたのは、コナン・ドイルとエドガー・アラン・ポオだった。
      初等学生の時、母がやってくださった速読学院には一方の壁面をぎっしり埋めたたくさんの本の中に
      子供用のエドガー・アラン・ポオとシャーロック・ホームズのシリーズが備えられていた。「黒猫」と
      「アッシャー家の崩壊」の非日常的な想像力に私は完全に魂を奪われ、危険で優雅な男性、
      シャーロック・ホームズを中心に広げられた貴族的な犯罪譚に完全に魅惑された。

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      中学生になって私の耽溺はヘルマン・ヘッセに移り、一層、悪化した。
      照れ臭いけれど、私はヘッセの本を余りに愛した余り、暫らく、祖父くらいのヘルマン・ヘッセに向けて
      愛の熱病を患い、高等学校2学年の時、マイケル・ボルトンに愛を感じる前まで彼を熱烈に崇拝した
      (昔も今も私の男性の趣向はかなり独特だ。何年か前から私の理想のタイプの男性は「風と共に去りぬ」の
      レッド・バトラー)。中学校の時は100%どういう意味だかみんな理解できないながら、「デミアン」を読み、
      理由も分からない興奮状態に陥り、眠れず、その影響で---(「デミアン」が手元になくてよく分かりません...
      ブックスデウデ? -kasuke-)を探し持ち、デミアンの真似をして話し、漠然とヨーロッパへ行きたかった。
      別の非凡さをみんな別にして、ヘルマン・ヘッセは時期別で作品の中の世界と雰囲気が大きく違うにも拘らず、
      全作品に一脈相通して流れているあるものを持っている作家だと思う。私の中に既にそんな性向が内在されて
      いるので、更にヘッセに熱狂していたことから、私を魅了していた様々な芸術家の作品への耽溺が私にこんな
      性向を植えてくれたのかは見分けるのが大変だけれども、ミュージシャンとしての私自身も多様な雰囲気に
      一 脈相通したあるものを持っていると思う。私は今はもう忘れた彼の誕生日になったら、白い薔薇を買って、
      彼に手紙を書き、いつも読んでいた彼の本を改めて読んだ。


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      中学校の時から始まったポップミュージックへの熱狂が一層深化したのも、彼に手紙を書いていた頃だ。
      勉強しながら音楽を聞くことに対してなら、音楽を好きな全ての学生が両親と喧嘩しながらも得ようとする権益だ。
      私も音楽を聞いて勉強することができるのを理解されない両親を相手にたゆまず闘争(!)し、毎日夕方8時には
      「ペ・チョルスの音楽キャンプ」を聞いて、殆どいつもAFKNを特に毎週土曜日の午後の「アメリカン・トップ40」を
      1週間ずっと待って聞いた。ラジオから好きな音楽が流れて来たら、テープに録音をし、そうして録音したテープが
      数十個になった。
      今もホイットニー・ヒューストンの「I'm Your Baby」やシャニスの「Loving You」を聞いていたら、音楽の
      前半部分に録音されていたDJのコメントが思い出される。ラブリー・シャニス、ラヴィング・ユー 〜 など。
      今も音楽の耽溺と中毒は全然治療されていない。私は一日も音楽を聞かないで生きることはできないし、
      地方や外国へ行く時はプレーヤーと一緒に数十枚に達するCDを念入りに選んで持って行く。
      多分、私は音楽に溺れたようだ。

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      そして高等学校2学年頃、私は母と一緒にマイケル・ボルトンに惚れ込んでしまった。この話を友達にしたら、
      みんな私をひどく嘲笑った。はげ頭、おじさん、油っぽい人−と。友達ではない母と一緒にマイケル・ボルトンの
      ミュージックビデオを見て、目をハート模様にする程で、友達の嘲笑が理解されないこともないけれど、
      「How Am I Supposed To Live Without You」のミュージックビデオでの彼は素敵だった(そのビデオを探して
      見ないでと頼みたい。あなたにまで嘲笑われたくないので)。
      告白するけれど、私がそうやって仮想の恋愛感情を感じていたポップミュージシャンは(惚れていた順序の通り)、
      ビリー・ジョエル、デュラン・デュランのキーボーディストのニック・ローズ、マイケル・ボルトン、
      ピーター・セトラ、シンニード・オコナーだ。ビリー・ジョエルとデュラン・デュラン、シカゴや
      ピーター・セトラは勿論、今でも楽しんで聞いている音楽だけれども、音楽以外の部分に関して、
      私が考えても悪趣味を持っているようだ。私は。


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      マイケル・ボルトンに心酔していた時、私は同時にレマルクの「凱旋門」に中毒になっていた。
      普通の時も好きな本を繰り返して読む方だけれども、この頃、私が「凱旋門」を読んでいた回数は
      本当に凄いと思う位だった。何ヵ月かの間、ずっと繰り返してこの本だけを読んでいたからだ。飲んで
      みることもせず、私が一番初めに好きになったお酒はカルバドスで、戦争を背景にした都市の、心のどこかを
      チクチクさせる描写とクールで寂しいラヴィック、悲しく神秘のジュアンはまだ子供だった私に真の大人の
      世界とはこんなものなのだな、そして、やはり人間は寂しく無気力で悲しいのだなということを感じさせてくれた。
      殆ど似ている理由で、「カウボーイ・ビバップ」にもやはり私は何年も中毒だった状態で、このTVシリーズの
      アニメーションはディストピア的未来観、人間的であり、また理想的な、魅力的なキャラクター達 −- 共存できない
      相反する性向が共存していたら、それが人間でも、事物でも、哲学でも、おもちゃでも、無条件に惚れ込み、
      どきどきすることも、私の頭脳の欠陥であるのか −- 孤独と悲しみ、存在に対する根源的な疑問に関して話しても、
      決して失ってしまわないユーモア感覚を持っている秀作だ。サウンドトラックもすばらしい。


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      私は漫画にも治癒が不可能な程にひどく中毒になっていた。
      それは、読むのと描くのとどちらもに対して中毒で、初等学校4学年の時、私は授業時間に先生に隠れて
      落書する方法を会得し、高等学生の時までずっと嫌いな授業時間には絵を描いていた。この技術は先生に
      見つからないのは勿論で、絵を描きながら、授業の途中、進行する質問に答えられる境地まで発展し、
      私の頭脳の発達に大きな助けをくれた。紫雨林としてデビューする2ヵ月前まで私はずっと漫画同好会で
      絵を描き、デビューしつつ放棄しなければならなかったいくつかのものの中で、一番心を痛くしたのが
      他ならない漫画だった。
      今も読むのに対しての漫画中毒は全然治癒されず、たまに休める日があっても、漫画を読まなかったら
      ストレスがひとつも解けないのだ。 (最近は2001年10月現在、もう何ヵ月も休日のない作業中−本当に漫画が見たい)

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      漫画と共にアニメーションも私の耽溺の性向にぴったり合っている。
      「凱旋門」で触れた「カウボーイ・ビバップ」を見ようと無理して時間に合わせて帰宅して
      「彼と彼女の事情」の台本を手に入れようと、夜の間、インターネットをくまなく探し、
      「エヴァンゲリオン」の全シリーズを10回以上も見て、「魔法使いグルグル」を少し開けた口と
      ぼんやりした目をして見て、「イオン・フラックス Aeon Flux」シリーズ全部を買うために出場中の
      忙しいスケジュールを分けて、あちこちの関連のお店を覗くのが中毒者、キム・ユナの実体だ。


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      動く絵に関してなら、映画の話をぬかすことはできないだろう。
      初等学校2〜3学年の頃、私の家には週末なら殆どいつも父のお客さん達が訪問してはいたのだけれども、
      その日も15名ほどになるお客さん達を家でもてなすのに相当に忙しくしていた。そして、私はその騒乱の
      渦中にTVの真ん前にはまったように座り、「週末の名画」に全ての神経を集中していた。まるで私の夢を
      写しておいたように脳裏にいつまでも残っていたその映画が、テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」
      だったのを知るようになったのはとても後のことだ。中学生の時、TVでやってくれた「アラビアのロレンス」に
      魂を奪われたことや、何故かは分からずとも、その当時劇場でまた上映していた「風と共に去りぬ」を見に行って
      遅いと鞭を受けたことや、高等学生の時、「スターウォーズ6」をもう一度見たくて家にはプールに行くと嘘をついて、
      劇場に行って、ばれて、ひどい目に会ったことなどは、みんな、映画中毒者としての私の人生を予告していたことだ。
      大学生になった時、私がやってみたかったことと、欲しかったもの ー- 化粧、香水、踵の高い靴、パーマ、サークル 、  
      MT(ミーティング?=合コンみたいなもの-kasuke)、アルバイト、お酒を飲むこと、恋愛 -- をみんな除外して 、
      新しい身分を利用した新しい中毒の順位で、PC通信と共に1,2位を争い始めていたのは、やはり、映画だった。
      長い休みなら家に閉じこもって毎日5,6本のビデオを観覧する隠遁生活が何週間か続き、映画サークルの友達を
      巻き込んで、複製されたディレクターズカットを求めて見る不法行脚にのぼせることもした。「ベティ・ブルー」、
      「バグダッド・カフェ」、「スモーク」、「東邪西毒」、「阿飛正伝」、「デリカテッセン」、「ロスト・チルドレン」、
      デビッド・リンチ、ティム・バートン、クエンティン・タランティーノ、コーエン兄弟、ガイ・リッチーと
      バズ・ラーマンに私は中毒になり、最近、「アメリカン・ビューティー」、「ビューティフル・ガールズ」、
      「彼女を見ればわかること」、「バッファロー66」、「マグノリア」、「フレンズ」シリーズ、
      「セックスとザ・シティ」シリーズ、「ザ・ソプラノス」シリーズ」等の映画、及び、シリーズで中毒の間口を広げている。
       時折、余りに忙しくなって今のように「ムーランルージュ」と「アメリア」も見に行けない時が来たら、
      本当に悲しくなる。今回、アルバム作業が終わったらみんな見に行くつもりだ。その時になってもみんな上映中でなければ。

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      そして、人生が終わる時まで、私は音楽に骨の中まで中毒になっていたい。

 

 

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